ガラケー時代までは、学校側もそういった種類の余裕を見せていた。携帯電話が子どもたちのバッグに、教室に、学びの場に持ち込まれたとき、授業の妨げだイジメの道具だと騒ぎになるのはそこの生徒のオツムが弱い証拠。自分のアタマで考えられる子どもは、まずそんなものにかかずらわっているほどアホでもなけりゃ暇でもない。自分とこの生徒の知性を信じている学校はみな「自主性に任せ」たのだ。

 

今回の灘の校則化を鼻で笑うかのように、筑波大学付属駒場中高はこうコメントしている。「そのような常識をわざわざ校則化する必要性が見出せない」。くぁ~、やっぱカッコいいな、筑駒!

 

でも、でもね、「IQの高さはプライドの高さ」をよーくわかっているはずの名門校たちがわざわざ「スマホ利用の制限を校則化」するなんてダサい行動に出たのは何故か。ホントはそっちのほうに重要性があるような気がする。ガラケーには余裕かませたのに、スマホにはかませなかったってことだから。スマホの一体何が、名門校に危機感を覚えさせたんだろう?

 

もともと、昔から賢い子どもたちっていろんなオタクっぽいことに執心して、一度は成績ガタ落ち、なんてのも経験するものなんだ。無線とかパソコン通信とか鉄道模型、アニメに特撮、深夜ラジオにゲームにアイドルに同人誌。寝食忘れるほど入れあげてお互いに「廃人w」なんて笑いあったって、ちゃんとやらなきゃならん時期になると、きっちり帳尻つける。そんな姿を、先生たちはずっと見てきたはずなんだ。