30代、40代の男性に「一番好きなジブリアニメは?」と聞いて、意外と多く返ってくる答えが『耳をすませば』である。舞台は現代の日本、よくある私鉄沿線の街。作家を目指す14歳の本好き少女・月島雫と、バイオリン職人を目指す同級生・天沢聖司の交流を描く青春物語だ。世界を救う少女も、宝を狙う盗賊も出てこない。血湧き肉躍るアクションもない。なのになぜ、男たちはこの映画に惹かれてしまうのだろうか。

 

勘違いしている人が意外と多いのだが、この映画、監督はスタジオジブリの第一人者である宮崎駿ではない。高畑勲監督の『火垂るの墓』(1988年)や宮崎駿監督の『魔女の宅急便』(1989年)に作画監督という重要なスタッフとして参加した、故・近藤喜文(こんどう・よしふみ)唯一の監督作品である。

 

近藤監督は『耳をすませば』で、宮崎駿がやっていなかった2つのことをやった。ひとつは、ヒロインの住まいを団地(集合住宅)にしたこと。もうひとつは、少年少女の恋愛を直接的に描いたことだ。

 

まず、集合住宅について。それまでの宮崎アニメを思い出してみると、集合住宅住まいの主人公は思い浮かばない。

 

『風の谷のナウシカ』(1984年)のナウシカは、族長の家系として立派な家に父親と同居。『天空の城ラピュタ』(1986年)のパズーは、最高の眺望を誇る鉱山の一軒家にひとり暮らし。『となりのトトロ』(1988年)のサツキとメイは、趣ある和洋折衷の一軒家に父親と住んでいる。『魔女の宅急便』のキキは、実家がお洒落な一軒家、パン屋ではいい感じの離れにいた。『紅の豚』(1992年)のポルコ・ロッソは、アドリア海に浮かぶ小島の素敵な隠れ家で気ままに過ごしている。誰もが「ここに住みたい!」と思わず口に出すような住まいばかりだ。

 

ところが、『耳をすませば』で雫の家族4人が住むのは、何の変哲もない、とてつもなく平均的な団地(モデルは東京都多摩市にある愛宕団地と言われている)。言葉を選ばず言ってしまえば、画面からは明らかに「狭っ苦しさ」が伝わってくるし、それを感じさせる構図取り・演出が意図的に施されている。