私は「来れない(来られない)」や「やってない(やっていない)」といった、「ら抜き」や「い抜き」はまったく気になりません。話し言葉では圧倒的に、「ら抜き」「い抜き」で話していますし、活字で「来れない」「来られない」のどちらを見ても、不自然さを感じません。

 

一方、約20年間中国で生活しているせいか、「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」や「千円からお預かりします」と変な丁寧語を使われると、かなり違和感を覚えます。なので、「ら抜き」にいらだつ人たちの気持ち、よくわかります。

 

「ら抜き」についての議論は結構長く続いているように思いますが、議論されるということは、まさに“過渡期”なんだと思います。

 

いつか、ほとんどの人が「ら抜き」を使うようになれば、正しい日本語とされる日がくるかもしれません。しかし「ら抜き」にアレルギーを感じる人がまだまだいるうちは、教科書や新聞、テレビのニュース番組などは、「ら抜き」するべきではないでしょう。

 

ただ、使う側が言葉(文法)にしばられるべきではないと思います。言葉とは伝達手段のひとつであり、よく言われるように「変化するもの」。その変化をを認めなかったら、今でも「いとをかし」「あわれなり」と言わなければならなくなります。

 

それは日本語に限ったことではなく、私の生活する中国でも同じです。