■結局は人間のエゴ

私たちが今、生きて存在しているという事は生存競争に打ち勝ったご先祖たちがいたからである。そのご先祖様たちは生きる為に必死だっただろう。歴史上の戦乱や大飢饉、大災害を生き延び、私たちに繋がっているのである。おそらく綺麗ごとでは生きられなかった場面も多々あったと思う。そのおかげで私たちは生きている。

 

時は移り、先進国は飽食の時代。わざわざ○○を食べなくてもいいのでは?という時代になった。でも、それは個人の主観にすぎない。宗教などの概念を除き、生きるという根本を考えれば、○○は食べても良いが、○○はダメ!なんていうのは、個人のエゴでしかない。生きるという事は命をいただく「業」を背負うものである。それを否定するのであれば、生きる事を否定するという事である。

 

余談だが、ヒンドゥー教は牛を神聖なものとして定めているが、異教徒が食することには干渉しない。「牛を食べるな!」「神聖な生き物だ!」これを世界に訴えかける運動が仮に起きれば、世界各国の牧場主など生きた心地がしないだろう。

 

そこには宗教間でも暗黙の中に存在している他者理解や他文化理解がある。

 

人間は神にはなれない。人間自身が食べるもの食べないものの個人的エゴを全体主義に照らし合わせる事は、自然の摂理に逆らった分を弁えぬ過ちだと私は思う。