日経に面白い記事が出ていた。

叱る指導もう限界? 社員育てる「褒め合いゲーム」

 

なるほど。ただ、「褒める」のはなかなか難しいものだ。この記事にも「褒める気恥ずかしさ、遊び心で乗り越える」などと書いてあるが、実際、恥ずかしいものだ。そして、ついつい取ってつけたような、「キモい褒め」になってしまう。

 
「○○ちゃん、制服、似合うね!」
って、みんな同じだろうが!
 
いや、フォローすると、たしかに似合う、似合わないはあるからね、画一的だと批判される制服であれ、リクルートスーツであれ。逆に、個性が引き立つという評価もあるからね。ただ、ちゃんと見ていないと気持ち悪い褒めになってしまうわけだね。
 
チキさんの新作のタイトルじゃないが、ダメ出しからポジ出しの社会に移るべきだし、私も来年はポジティブに行こうと思うのだが、とはいえ、叱るのが難しいからといって、褒めるのが簡単だとは思えない。ともに、変化に気付く、人を丁寧に観察するのが大事だったり。
 
あと、気をつけないといけないのは「怒る」と「叱る」は違う。叱るは言動に対する、機能的なものでなければならないのだ。
やはり、人を丁寧に観察しないとダメなのだよね。
 
一方で、じゃあ、怒るということがダメかというと、周りにいる人に対する怒りはやめた方がいいけど、国のことだとか、社会問題に関してはもっと怒った方がいいと思ったり。

話を戻すと、叱るから褒めるに移行だなんて言ったところで、相手を良く見ていないとまったく意味がない。

「意識高い系」という病~ソーシャル時代にはびこるバカヤロー (ベスト新書)
「意識高い系」という病~ソーシャル時代にはびこるバカヤロー(ベスト新書)

 

無関心社会をどうするか。これが、いま、そこにある問い。

この本でも批判したが、ソーシャルメディアがみんなを救うなんて言っている人がいるが、救わないじゃん、多くの人を。牧歌的すぎる。
 
まずは職場において、相手への適度な関心をどう持つか、これがいま取り組むべき課題。
さあ、今日は職場の仲間にいつもより少しだけ関心を持ってみようか。