このところ、ぼ~っと考えていることがある。景観は誰のものかということである。

 

たとえば、東北。日々、海を眺め、海からの恵みで暮らしてきた人々は海が都会人の考える自然のように、生易しいものではないこと、牙を剥くととんでもないことが起こることを知っていながら、その景観とともに暮らしてきた。

 

この場合の景観には、たぶん、タワーマンションからの眺望のように、買って手に入れたモノ以上の意味、先祖から積み重ねられてきた価値があるのではないかと思う。そこに海と暮らしをぶっつりと断ち切る防潮堤ができることになる。お上が作ると言ったら、そこに暮らす人々がいくら、嫌だ、そんなモノは欲しくないといっても、なすすべはほとんどなく、いずれ、いつも当たり前にそこにあった景観は失われてしまう。

 

あるいは一戸建てばかりの住宅街の中に突然建てられることになる高層マンション。季節ごとに花びらや落ち葉を掃く人々によって守られ、美しい街として集めた人気は、デベロッパーに利用され、美しさは失われてしまう。マンションの売り文句は桜並木の美しい街。

 

しかし、そのマンションと街の美しさは相いれないことも多い。空の広い、並木のある街だったから価値があったのに、そこに空を覆うマンションが林立したら、価値は失われてしまう。デベロッパーは自分が作ったマンションの価値をいずれ自分で奪うことになることを理解しているのだろうか。

 

そこに住んできた人たちが作ってきた見えない財産を、突然現れたよそ者が食いつぶす。そして、現在の法はそれを止めることはできない。
景観条例は蟷螂の斧だ。