任天堂の元社長、山内溥氏が亡くなられました。山内社長というと、ファミコンやゲームボーイなどをヒットさせ、世界に名だたる大企業である今の任天堂を育てた立役者、カリスマ経営者という印象を持っている人も多いと思います。

 

もちろん、カリスマ経営者ということに僕は異論はないんですが、彼のその功績を、輝かしく彩られた成功だけを見て語るのは少し違うんじゃないかと思います。

 

山内社長は大きな成功を掴んだ経営者ではありますが、非常に沢山の失敗も経験しています。

 

■たくさんの失敗と、復活

例えば、任天堂の主力商品がトランプだったころ、多角経営に乗り出しダイヤ交通株式会社というタクシー会社や、三近食品という食品会社を設立。しかし、どちらも上手くいかなく経営から撤退。多角経営に失敗した頃、任天堂本体もトランプの売れ行きが落ちてきて経営が危うくなっていきます。

 

その危機を救ったとされるのが、かの有名なゲームボーイの生みの親、横井軍平氏でした。横井軍平氏が開発したウルトラハンドが大ヒットします。しかし、多角化経営路線は続き、「コピラス」という家庭用の小型印刷機印刷機を発売してみたり、「ママベリカ」というベビーカーを作ってみたり、あるいはラブホテルの経営なんかもしていたぐらいです。そして玩具以外のどれもが、失敗に終わります。

 

玩具の方はヒットが続きます。ウルトラハンドに続いて、ラブテスター、光線銃シリーなどがヒット。任天堂は玩具メーカーとしての地位を確かにしていきます。しかしここでも、山内氏はやはり失敗をします。光線銃がヒットしたことで「レーザークレー射撃場」という遊戯施設を作ろうとするのですが、ちょうどオイルショックのタイミング、建設計画がちっとも上手くいかなかったのです。多角経営の失敗もあって、任天堂は倒産の危機と呼べる程の負債を負うことになります。

 

それでも任天堂はまた見事に復活を果たします。アーケードゲームへ進出、さらにゲーム&ウォッチが大ヒット、そして誰もが知っている歴史的ゲームハード、ファミリーコンピューターが登場するのです。ここから先は、言うまでもないですよね。あの世界的に有名なゲームメーカー、任天堂となっていくのです。