静岡県の川勝平太知事は、2013年度の全国学力テストで小学国語Aの成績が全国最下位だった結果を受け、成績が悪かった順に100の小学校の校長名を公表したいとの意向を示したとか。

 

理由は「子どもに責任はないということを明確にするため」と説明。
「最低というのは教師の授業が最低ということ。教師は大人なので責任を持ってもらい、反省材料にしてほしい」と言っているようだ。

 

確かに公表するというのは、先生にとってプレッシャーになるだろうが、それだけでは意味が無いだろう。

 

アメリカにはRate My Professorsというサイトがある。
1999年からある老舗サイトだ。
内容はシンプル。大学生が、自分の大学の教授を評価するというもの。

 

例えば、あなたがMITの学生だったとしたら、検索窓に「MIT」と入れれば良い。→検索結果
教師の名前をクリックすると、生徒からみた評価とコメントがずらりと並ぶ。
もちろん、大学生からの評価なので、単位を取るのは簡単!という向きもあるのだが、それだけではない。その先生がためになる先生なのかまで書いてあるコメントも少なくない。

 

これなんかは2007年のブログですが、その時点でこうなってる。

 

一番驚いたのは先生たちが”Rate My Professor”の評価をすごく気にしているとこです。 私が、マーケティングのクラスをとった時の先生は、そのクラスの最後に、 「あなたたちは今までにないすばらしい生徒だったわ!先生も誇りに思います!そうそう、Rate My Professorには良い先生って評価してよね♪」 とかいうたりしていました。 via たかしのブログ

 

教える側も、しっかりと授業をやり、その評価についての影響力がわかっているのだ。

 

こういう事例をみると、成績の悪かった学校の名前を公表するという事は、先生側を変える為には良いかもしれない。
ただ、これだけでは片手落ちなのだ。それはなぜか?