何かに集中するためではない。食堂に行った時に、知り合いがいなくても、気兼ねなく食事が出来るようにということが目的だろう。

 

大学というのは、さまざまな出身地、さまざまな専攻、さまざまな価値観を持った人が、アットランダムに集まるカオスのような場だ。自分のことを振り返ると、大学時代からの友人の中には、どこで出会ったかわからない友人も少なくない。よくはわからないが、何かの拍子に知らない人達と出会い、話し、仲良くなる。「人との出会い」そのものが楽しかったものだ。

 

ぼっち席に座った大学生は、スマホでLINEやFacebookで、既存の付き合いのある人達とコミュニケーションはするものの、新しい出会いのチャンスを逃しているのだ。

 

実は、これは大学生に限った話ではない。社会人は「ぼっち席」の傾向がもっと強い。すでに「ひとり鍋」「ひとり焼肉」などが流行り出している。コミュニケーションだけが理由ではなく、独身が増えているという理由もある。

 

社会人の若者は、気の合う人達だけで集まる傾向が年々強くなっている。自分と合わない人とは食事に行かないし、時間をともに過ごさない。ソーシャルメディア上で意見が対立したら受け入れない。

 

きっと普通の喫茶店や飲食店で、ぼっち席を作ったら、それなりに流行るだろう。突発的な出会いの喜びを知っている世代としては残念だが、それが現実だ。

 

京大の「ぼっち席」は、「ぼっち席」の社会的流行の兆しなのだ。