「デイダラボッチ」「デーラボッチ」などと呼ぶ地域もあるようです。誰もが名前は聞いたことがある「ダイダラボッチ」。日本各地に伝わる伝説の巨人で、怪力を駆使して山や湖を作った「国づくりの神様」とされています。

 

ニュースを読んで、そんなダイダラボッチさんに活躍して欲しくなりました。

京大食堂「ぼっち席」は現代の救世主?男女問わず学生いっぱいです。

 

京都大学の食堂には、孤独な学生専用の「ぼっち席」がある――そんな話が、ネットで話題になっている。きっかけになったのは、朝日新聞の2013年7月27日夕刊に掲載された「『ぼっち席』気楽にランチ 京大学食に1人席、ついたてで周囲気にせず」という記事だ。

 

よく読むと、もう一年以上も前からあるようですが、先月末に新聞記事になったことで、あらためて話題になっているようです。「ぼっち席」は正式名称ではなく、学生のあいだでついたあだ名。そういう席が欲しいという学生の要望があったのかもしれませんが、日本の大学(というか日本の社会)は、どこまで過保護になれば気が済むのでしょう。

 

ひとりでご飯ひとつ食べられない「ナイーブさ」も、ひとりでご飯を食べるのが恥ずかしいと思う感覚も、極めてくだらない甘ったれた了見としか思えません。そんなニーズに応えて、「ぼっち席」を作ってしまうのは、迷惑でしかない余計なお世話です。

 

今回のお題は、「ぼっち席」が「A.必要」か「B.不要」かというもの。一瞬、甘ったれた了見をあぶり出したり己の情けなさに気付けたりする「効能」があるという皮肉な意味で、あえて「A.必要」を選ぼうかと思いましたが、話がややこしくなるので素直に「B.不要」を選びます。「ぼっち席」を憎んで人を憎まず。文句をつけるべき相手は、あるから使っている利用者ではなく、作ってしまう側やそんな配慮を求めてしまう風潮です。

 

べつに京大の食堂に限ったことではなく、こういう席を作ってあげようという“配慮”が広まったら、日本の将来が心配です。昔々の大昔に、苦労して「国づくり」をしてくれたダイダラボッチも、さぞ不本意でしょう。もしダイダラボッチさんがこれをお読みなら、ひさしぶりにご登場いただいて、京大の「ぼっち席」を踏みつぶしてくださいませんか。