12月22日、映画「ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ」が公開されます。キャッチコピーは、下記のとおり。

 

“攻撃する、エレガンス。「ヴォーグ」編集長アナ・ウィンター以前、20世紀ファッション界の発端は、いつも彼女だったー。”

 

アナ・ウィンターが脚光を浴びるようになったのは、1980年代。それ以前は、ダイアナ・ヴリーランドがファッション・アイコンとして時代の先端と看做されていました。ダイアナ・ヴリーランドは、1971年まで雑誌「ヴォーグ」の編集長を務めた後、ニューヨーク、メトロポリタン美術館衣装研究所の顧問に就任し、当時まさに絶頂期にあった「イブ・サンローラン展」などを開催し、様々なファッションの展覧会を成功させました。

 

日本で最初に開催されたファッションの展覧会「現代衣服の源流」(1975年、京都国立近代美術館)は、1973年から74年にかけてメトロポリタン美術館で開催され、空前の好評を博した「インベンティブ・クローズ1909~1939」 展を、同館ならびに京都市・京都商工会議所との共催によって開催したもので、ダイアナ・ブリーランドが監修をしています。

 

そして、この展覧会の開催に尽力したのは、三宅一生さん、小池一子さんです。先日、21_21 DESIGN SIGHTで開催中の企画展「田中一光とデザインの前後左右」のことを書きましたが、今でこそ当たり前になった、ファッションやデザインの展覧会の原点は、ダイアナ・ヴリーランドが監修した、1975年の「現代衣服の源流展」なのです。1981年に出版された、ダイアナ・ヴリーランドの著書『アルール 美しく生きて』の翻訳をなさったのも小池一子さんです。

 

「現代衣服の源流展」では、1910〜30年代に活躍した、ポール・ポワレ、マドレーヌ・ヴィオネ、ガブリエル・シャネル、エルザ・スキャパレリらの衣服が紹介されました。ダイアナ・ブリーランドは、1903年、パリで生まれ、シャネルとの親交をきっかけに、1936年、ニューヨークの「ハーパース・バザー」誌のコラムを皮切りに、キャリアをスタートします。コラムのタイトルは、「なぜやらないの?」。この挑発的なタイトルは、ダイアナ・ヴリーランドの人生を象徴する出発点となりました。

 

ダイアナ・ヴリーランドが「現代衣服の源流展」で選定した、1910〜30年代の欧米のファッションは、女性たちをコルセットから解放し、精神と肉体を自由へと導くことに一役かったと評価されていますが、ダイアナ・ヴリーランドの生き方そのものが、1980年代以降の日本のファッションに与えた影響は少なくないのではないでしょうか。

 

容姿にコンプレックスを抱えていたと言われるダイアナ・ブリーランドは、「いい人生は1つだけ、自ら望み自ら作る」という言葉を残しています。他人が評価する美や才能に振り回される人生ではなく、心の扉を開き、独自のスタイルを創り上げる人生を選んだ、その生き方が多くの人々の心を動かしたのかもしれません。