NHK大河ドラマ平清盛」の視聴率が低いことが話題になっています。主役を演じる松山ケンイチことマツケンファンの私としては淋しいけれど、確かに視聴者が引き気味になるのでは?と感じることがあるので、そのことを書いてみたいと思います。

 

ドラマでよく出てくるセリフが、「一門の繁栄」と「この国の頂に立つ」のふたつ。

 

「一門の繁栄」…。家族のことは大事ですが、一門すなわち一族の繁栄こそが生きる目的、あるいは行動や判断の基準と考える人は、今の時代ではかなりの少数派でしょう。当時は社会保障制度もなく、家こそが拠り所だった時代背景はわかりますが、平家の一門としての結束は尋常でないほどの強さで描かれています。核家族化や個人主義が進む時代にあって、違和感を持つ人は多いのではないでしょうか? 

 

「この国の頂に立つ」…。いつの時代にも上昇志向の人はいるし、政治家であれば胸の内にはそんな思いも秘めていることでしょう。が、普通の人間の感覚としては、自分の趣味や、家族との時間を大事にするほうが現実的なような。もちろん、大河ドラマの主人公が、平凡な一般市民であるはずはないので、主人公の成長や立身出世が物語の軸になるのは当然です。それでこそ大河ドラマの王道! 視聴者は母親になった気持ちで(私だけ?)見守るわけです。とはいえ今回は、あまりにも直接的に言葉にし過ぎではないかと思う次第です。

 

つまり、私が考える低視聴率の原因は、共感しにくいこと。

それでは、「平清盛」は古臭いドラマかというと…。そうでもないと感じるから困ってしまうわけです。

 

一門の繫栄…とまではいかなくても、家族の絆は東日本大震災以降、見直されています。少し前に、売れっ子お笑いタレントの母親が生活保護を受けていたこが問題になりました。これをきっかけに、普段はほとんど意識しないことですが、親族間の扶養が法律上も義務付けられていることが新聞などで報道されました。このことを私は知らなかったので結構ショックでした。感情として、親族が生活保護を受けるほど困窮していたら助け合うのが当然ということとは別に、法律でも規定されていたとは。そこまで法律で決める必要があるのか、と。

 

また、収入が頭打ちで、税金や社会保険料が上がる時代には、家族をはじめ、親しい人間同士で手を取り合わないと暮らしが大変になるという現実問題もあります。ふわふわと1人で生きるには厳しい世の中になってきていると、80年代にふわふわと20代を過ごした私は、しみじみ噛みしめています。

 

そして、制度というのは、なんと時代を先回りしていることでしょう。家族が助け合えるように(というか、高齢者世代の資産を若い世代に移せるように)、住宅取得資金贈与の特例など、一家のお金を次の世代に移す際に税金が安くなる仕組みもすでに作られています。(一方で、相続税は今より厳しくなる予定ですが)。

 

さて、もうひとつのテーマ。

この国の頂に立つ…ほどの野心はないものの、自分の上昇志向のモチベーションを上げないと仕事をこなせないと感じることが最近増えました。かつてないほど、仕事への厳しさが高まっているとフリ―ランスで働く私は感じていますが、ビジネスパーソンの方はいかがでしょうか? 必死で上を目指してやっと横ばい、少しでも気をゆるめたら転落してしまいそうな恐怖感を感じるようになりました。まったくもって若い日をいい加減に過ごした人間にはつらい時代です。

 

そう、ここまで書いたことは、あくまで私の考えですから、NHKの制作担当の方には別の意図があったのかもしれません。しかしながら、2012年の大河ドラマを「平清盛」にした、そして一門の繫栄や頂点に立つことへの渇望が描かれていることには、それ相当の理由があるのだと思います。

 

そして、これからがまさに佳境。一門の繫栄を願い、頂点に立ちながら、その後、崩壊・転落していく平家が描かれるはずです。栄華は続かず。これもまた人生であり、世の中の常。結局、人間というのは、最後は自分の心のうちに戻って、自分と自分の人生を受け入れるしかないのでしょう。

 

といいつつ、生きている限りは、前に向かって進む! 日曜夜の大河でしみじみし、月曜の朝にはビジネスモード。そして月曜の夜には、やっぱりフジの月9が欠かせません。(ドラマ好きなファイナンシャルプランナーのひとり言でした)