日本人選手のヨーロッパ移籍が相次ぐなかで、Jリーグ復帰を選んだ選手がいる。元日本代表の井手口陽介だ。日本サッカーを背負っていくべきタレントが、22年のカタールW杯へ向けて国内からアピールをしていく。
 

16年リオ五輪出場からロシアW杯出場の立役者に

井手口陽介

ガンバ大阪に復帰した井手口陽介。写真はクルトゥラル・レオネサ時代のもの(写真:アフロ)


1996年8月23日生まれの井手口は、2016年1月のリオ五輪アジア最終予選に、チーム最年少の19歳で選出された。豊富な運動量とボール奪取に優れたミッドフィールダーとして、同年8月のリオ五輪にも出場した。
 
リオ五輪後は所属するガンバ大阪でも出場時間を増やしていき、16年のJリーグベストヤングプレーヤーに選ばれる。期待の若手選手としてスポットライトを浴びていく井手口は、17年6月に日本代表デビューを果たす。
 
17年8月31日のロシアW杯最終予選では、大きな仕事をやってのける。勝てばW杯出場の決まるオーストラリアとのホームゲームに、井手口はスタメン出場する。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督(当時)が求めるデュエル(球際の攻防)で優位に立つと、80分過ぎにはチームの2点目をマークする。勝利の立役者となった。
 
その後も日本代表とガンバ大阪で安定感のあるプレーを見せ、17年はJリーグのベストイレブンに選出された。そして、18年1月にイングランドのリーズ・ユナイテッドへ移籍する。6月開幕のロシアW杯を見据えたチャレンジだった。
 

ヨーロッパ挑戦で暗転した景色

イングランドは労働ビザ発給の条件が厳しいため、井手口はリーグからスペイン2部のクルトゥラル・レオネサへレンタル移籍する。しかし、定位置獲得には至らない。実戦から遠ざかっていたことを不安視され、ロシアW杯のメンバーから漏れてしまう。世代交代の旗頭と見られていた男は、4年に1度の大舞台に立つことができなかった。
 
苦難はなおも続く。18年夏開幕のヨーロッパの18‐19シーズンは、ドイツ2部のグロイター・フュルトへレンタル移籍された。井手口は加入後初先発した試合で初得点を決めるが、9月末に右ひざに大けがを負ってしまう。19年1月にも右ひざを負傷し、シーズンを通して活躍することができなかった。
 
ヨーロッパでなおも挑戦を続けるべきか。復帰を要請する古巣のガンバ大阪で再スタートを切るか。ふたつの選択肢の間で揺れる時間を過ごしながら、井手口はJリーグへ舞い戻ったのだった。
 

日本代表のポジション争いに加われるか?

日本代表では18年5月を最後に出場がない。井手口が定位置とするボランチのポジションは、柴崎岳(デポルティボ/スペイン2部)と遠藤航(シントトロイデン/ベルギー)が森保一監督の信頼をつかんでいる。彼ら以外にも山口蛍(セレッソ大阪)、守田英正(川崎フロンターレ)、橋本拳人(FC東京)、板倉滉(フローニンゲン/オランダ)らが森保監督のもとでプレーしてきた。攻守の中心となるボランチのポジション争いで、井手口はかなり後方へ下がってしまったことになる。
 
とはいえ、171センチ、69キロの身体に秘められたポテンシャルは、22歳という年齢を考えてもこれからさらに開発されていく。伸びしろはたっぷりあるのだ。
 
ガンバ大阪での復帰戦は、8月10日のサンフレッチェ広島戦だった。合流間もないこともあり、後半35分からの途中出場となったが、これからコンディションをあげていけばスタメンに名を連ねていくことだろう。リーグの中位から上位進出を目論むチームで、背番号15を着ける井手口は浮上への起爆剤としての期待を背負う。他でもない彼自身が、井手口陽介の今後に期待していることだろう。