「女の怖さ」は「母性」の強さ

がみがみ叱るママさん

筆者も前夫に「授乳しているのを見たら女に見えなくなった」と言われましたが、がんばって「母親」をして「怖い」とか「女じゃない」とか言われるのは悲し過ぎます


「うちの妻も昔はかわいかったのに、本性は『怖い女』だった」
「子どもを産んでから、妻が女には見えない」

よく聞く話です。よく「女は怖い、女は強い」と言われますが、それには理由があると筆者は思います。

妻は「変わった」のではありません(厳密に言うと、大前提として「人は変わるもの」であり、すべてにおいて普遍なものなどないのですが)。そしてその人の本性が怖い、とも限りません。持ち合わせている性質がどう表出するかということだと思います。

女性は本来、かわいさと強さ、両方を持ち合わせているものです。誰かに守られていれば、かわいいままでいられます。できるなら、そのままでいたい。ずっとかわいい存在としていられたら、どんなに平和でしょう。

しかし、きょうだいや家族として役割を与えられたり、社会人として責任が生じたりすると、どうしても強くならざるを得ないのです。責任からくる「強さ」です。

社会人でいえば、マネージャー以上の役職、もしくは、起業している女性は、強く見えるということがあります。周囲からもそういう扱いを受けることで、普段から「女性性」や「かわいらしさ」を封印してしまいがちになることもあります。

責任から来る「強さ」には、子どもを産んで生じる「母性」なども含まれます。子どもを産み、育てていく過程において、自分の弱さと向き合うことになります。自己対峙せざるを得ない状況になるのです。

我が子が自分のコンプレックスを刺激するようなことをすると、自分でも驚くほどの怒りや悲しみがこみ上げてくることもあります。

例えば、自分に自信がない人が、我が子を「ちゃんと育てなければ」と躍起になったとき、子どもが自分の言うことを聞かないと自分を否定されたような気持ちになるでしょう。「これでは示しがつかない!」と必死で「母親」というペルソナ(仮面)をつけようとします。その仮面をつけるために必要なのが「強さ」です。本当は女性が内側にある弱さに触れるたびに、必死で強くあろうとしているだけなのです。

また、世間の荒波から子どもを守ろうとすることも「強さ」がなければできません。我が子を守るために持ち合わせた「強さ」が、男性にとって「かわいくないこと」になるのはなんとも皮肉なことです(言葉が乱暴になったり、子育てにイライラするのは、また別の問題ですが、長くなるので端折ります)。


 

「かわいさ」と「しっかり」を求める男の矛盾

抱きしめ合うカップル

かわいさとしっかり。どちらもどの女性も持っています。そのかわいさを引き出してくれる男を求めているとも言えますよね


男性は「守ってあげたい人」を求めます。同時に、女性に「癒し」を求めます。でも人に癒しを与えるためには、芯の強さが必要です。なぜなら、強くないと、人を愛し育むことはできません。強くないと、人を癒すことはできません。女の「強さ」は、愛がベースなのです。

男性にモテるためには「守ってあげたい」と思われるためにかわいさをアピールしなければなりませんが、「癒し」を与えられるような「強さ」が表出するときに、言葉や態度が乱暴だったりヒステリックだったりすると「本性は怖い」と思われてしまいます。

さらに、女性同士で敵を作らないために、自然な防衛本能で「女性性」を抑えることもあります。それにより、「サバサバ系女子」が誕生するわけです。サバサバしているふりをして、自分の「男性性」を表現することで、「私は裏表がないよ」「女の敵じゃないよ」「私は、恋愛より友情を選ぶ人間ですよ」とアピールしているのだろうと思います。

それほど常に「女性性」を意識しているということです。だから、サバサバ系女子って、実は「女性性」が高いように思います。同性に嫌われることを極度に恐れているのは、「守り」に徹しているからであり、自分のなかにある「女性性」が強い証拠。だから「サバサバ」というペルソナ(仮面)を身につけているのです。実際サバサバ系女子と1対1でじっくり話すと、実はかわいらしい内面を持っている人だったりします。

逆に「ぶりっこ系女子」は女性性を強調して、男性にはモテて、女性に敵視されます。でも、「ぶりっこ」と「サバサバ」は対称的に見えるだけで、よく似ているのかもしれません。表面的に女っぽさを演じているか、男っぽさを演じているかの違いなのです。

筆者は、どちらにも違和感を覚えます。素直に生きられず、何かを演じなければいけないなんて、人生もったいない。女として50年生きてきて、今はそう思います。

自分の中にある「かわいさ」を抑制しないで。似合わないと決めつけているのはあなた自身かもしれません。誰でもかわいくなっていいのです。


 

女を怖くしているのは男であり、あなた自身

かわいい花を愛でる

自分の中にある「かわいさ」を抑制しないで。似合わないと決めつけているのはあなた自身かもしれません。誰でもかわいくなっていいのです


男性の中にも「女性性」はありますし、女性の中にも「男性性」はあります。「女の強さ」を安易に怖いものとして拒否しないでほしいと、筆者は申し上げたいのです。

家庭を守るため、パートナーのあなたを守るために、女は「強さ」を秘めています。

それを「かわいい女の子」に戻してあげられるかどうかは、パートナーの男性次第。夫が「かわいいね」「きれいだね」「愛してるよ」と言葉で表現したり、優しく抱きしめたりデートに誘ったりすると、女は「あぁ、この人の前では女の子に戻っていいのだ」と認識できるのです。

つまり、パートナーがいる場合、女をかわいくするのも怖くするのも、パートナー次第です。強いところがあるからと「強い女」と決めつけないで。

それに、どんなに強いところを持った女性でも、誰に甘えなくても平気なわけではありません。むしろ強がっている人ほど甘えたいものです。


 

自分にも人にも「かわいい」を許可してあげる

責任ある立場にいる女性や、いつも「母親」のペルソナでばかり生きているママさんは、自分自身でも仮面を外す機会を作りましょう。

肩書きを外して交流できる年上の男性たちと交流したり、頼れる先輩に会ったりすることでもいいですし、お気に入りの俳優やアイドルの動画を見るのでも構いません。

「女に戻っていいんだな」と思える時間を、暮らしの中に作りましょう。

「強い女」「サバサバした女」のペルソナを外し、適度に自分の中の「男性性」と「女性性」の両方を認めてあげたほうが、バランスのいい自然体になれるはずです。

そして、女性たちに言いたい。

私たち女性は、もっとかわいく生きてもいいのではないでしょうか。「かわいい私」も「強い私」も、どちらもあなたの中にあるはずです。

かわいい女性に対してイラッとしたら、自分が「女である時間」を積極的に取り入れていない証拠です。素直に「かわいい女」をできる女性の愚痴を言って、自分の女性性を封印することって誰の得にもならないのではないでしょうか。

人にも自分にも「かわいい」を許可してあげて、自分の中にあるはずの「かわいい自分」を取り戻し、それを愛でてあげましょう。きっと、それは自分のために良い循環を生み出すはずです。