2017年4月12日に行われた引退会見での浅田真央(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

2017年4月12日に行われた引退会見での浅田真央(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

浅田真央さんが引退を発表してから1ヵ月が経ちました。

引退に際してさまざまな報道があり、たくさんの人たちが彼女を、彼女の演技を大好きだったことを改めて知ることができ、寂しくも温かな気持ちになる日々を過ごしました。

とはいえ、発表されたときも今もシーズンオフだということもあり、まだ、彼女が引退したことが実感として感じられないままでいます。
 

振り返ってみると

改めて振り返ると、さまざまなシーンや言葉、できごとがよみがえります。

15歳の頃、トリプルアクセルも3回転+3回転も、軽い身体でポンと跳んでいた姿。世界選手権東京でのフリー途中のガッツポーズ。バンクーバー五輪フリー後の「長かったっていうか、あっという間でした」というコメントと涙。

ソチ五輪のショートプログラムでのジャンプミス。「取り返しのつかないことをしてしまったなという思いがある」の言葉の切実。

ソチ五輪のフリー、ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番』。1年間の休養と、2015-16シーズンの復帰。

復帰後シーズン1年目、2016年の世界フィギュアFSでの浅田真央(写真:AP/アフロ)

復帰後シーズン1年目、2016年の世界フィギュアFSでの浅田真央(写真:AP/アフロ)

たくさんのプログラムを滑ってきた10数年の締めくくりとなった2016-17シーズン。ちょうどいいバランスの身体で、フリーが始まる前、すっと左手を上に、右手を水平に伸ばした時の洗練された姿や、動き始めると表情を豊かに表した目……体現されうる美のひとつの姿だったと、おおげさではなく思います。

ここ数年、インタビューの際に目標を尋ねるといつも、「1日1日、毎日の練習をきちんとしていくこと」と彼女は答えていました。何かの大会での優勝とか、何点を出したいとかではなく、見つめていたのは毎日のこと。そして本当に、充実させた1日1日を積み重ねることで、とてつもないところへとたどり着いたんだと感じています。
 

この15年ほど、浅田さんを基準にしてきた

個人的な話になりますが、たとえば「あのシーズンのあの選手のプログラムってどんなものだったっけ?」と思い出すとき、私の思考は自然と、「あれは真央ちゃんが『チャルダッシュ』のシーズンだから、2006-07シーズンだよね。ていうことは……」といったルートをたどります。

「ロンドン(カナダ)の世界選手権ってことは、真央ちゃんが『I Got Rhythm』と『白鳥の湖』を滑っていたときだから……」という風に。

浅田さんの場合、『ノクターン』を2006-07シーズンと2013-14シーズンの2回滑ったり、『仮面舞踏会』を2008-09シーズンはフリーで、2009-10シーズンはショートプログラムで使ったり、『愛の夢』は2010-11シーズンから2季継続したりしていますが、そうしたことに混乱させられることもなく、いつでも私の頭の中では浅田さんが基準になっています。

さかのぼってみると、2002-03シーズンころからずっと、浅田さんが基準でした。彼女が休養していた2014-15シーズンも、「真央ちゃんが休んでいたシーズン」として認識されています(蛇足ですが、その前の1997-98シーズンから2003-04シーズンころまでの基準は、アレクセイ・ヤグディンです。さらに蛇足ですが、ヤグディンが試合に出なくなった2002-03シーズン、2003-04シーズンはそれぞれ、「ヤグディンが休んでいた1シーズン目」と「ヤグディンが休んでいて、11月に引退したシーズン」と認識されています)。

気づけば15年ほどもの間私は、無意識のうちに浅田さんを基準にスケート界を認識してきました。多分次の2017-18シーズンは、「平昌五輪シーズン」と捉えるとともに、「真央ちゃん引退後最初のシーズン」といった感覚でいるのではないかと思います。

そしてこんな風に感じている人は、意外と少なくないんじゃないか、そう思っています。

知らず知らずのうちに、フィギュアスケート史のスタンダードになっていた彼女のいないこれからを、私は、そしてスケートファンは、どう捉えていくことになるのでしょうか。

「真央ちゃんの新しい競技プログラム、どの曲なのかな」と思うこともないシーズンオフ。その感覚に、まだ、慣れないでいます。

とはいえ、寂しいばかりでもありません。

これからは、これまでとは違った彼女を、予期しないところで見ることのできる新しい喜びがある……引退会見での晴れやかな表情を思い出すたびに、そう思っています。