愛棋家にとどまらず一般にも浸透してきた藤井聡太のスゴさ

藤井聡太。

2016年10月1日、彼の快挙に日本中のマスコミが沸騰した。いわく「62年ぶり最年少記録更新の中学生棋士が誕生」。当時の藤井はおぎゃあと生まれて、まだ14年2ヶ月。中学2年生だ。それまでの記録保持者、加藤一二三(関連記事)より5ヶ月早くプロとなった。62年ぶりに生まれた新記録である。

一躍時の人となった藤井聡太。そのスゴさを、プロ棋士の視点も交えつつ考察する(写真:報知新聞/アフロ)

藤井聡太。そのスゴさを、プロ棋士の視点も交えつつ考察する(写真:報知新聞/アフロ)

プロデビュー後も公式戦17連勝(2017年5月12日現在)。藤井以前は10連勝が最高なので、これまた新記録爆走中だ。

非公式戦ながら「羽生も破った中学生」と各種メディアも採り上げ、藤井の凄さは愛棋家にとどまらず一般にも浸透してきた。将棋界にとっては大変ありがたい状況だ。正直に言おう。ガイドも興奮している。しかし、あまりにも話題が先行しすぎると、棋士として等身大の藤井が見えなくなってくる恐れがある

そこで今回は、できるだけ冷静に藤井を分析し、さらに藤井を楽しむ方法をガイドする。

 

藤井がくぐり抜けた三段リーグ

羽生善治/ガイド画

羽生善治/ガイド画

まずは、棋界の第一人者・羽生善治(関連記事)の言葉をご覧いただこう。自身も中学生にしてプロとなった羽生は、藤井の最年少記録についてこう語っている。

「現在は奨励会に三段リーグがあり、私の頃よりプロになるのは難しいんです」

この言葉は、藤井の最年少記録のスケールを、よりしっかりと理解する道標となる。羽生でさえ難関だと言う「三段リーグ」とは何なのか

プロ棋士になるにはプロ棋士養成機関である「奨励会」に入会しなければならない。入会試験があり、受験するのはアマ四段クラス以上の棋力を持つ子ども達ばかり。各地方の神童、大人顔負けの天才達が競い合うのだ。

たとえば、マスコミで紹介される藤井の棋歴は“2011年、小学生の全国大会、倉敷王将戦・低学年の部優勝”というもの。

「わあ、すごーい」「やっぱり小さい頃から違うねえ」

コメンテーターたちのそんな声が茶の間に届く。全国優勝であり、普通に考えれば、確かにスゴい。しかし、奨励会レベルでは特筆すべき事ではない。せいぜい「へえ、そうなんだ。すごいね」くらいである。

奨励会に合格するのは、およそ2割から3割、通常は6級を認定される(アマ四段がプロレベルでは6級)。そこから、勝率7割で1級ずつ昇っていく。成績が芳しくなければ降級もある。天才たちを相手に勝って勝って勝ちまくった者だけが最高位の三段に到達できるシステムだ。

さらに三段がゴールではない。ここからが、羽生の言う「三段リーグ」だ。超天才達が、さらにリーグ戦を戦う。このリーグで上位2名のみが四段を獲得しプロ棋士となる。だから、7割の勝率をあげても、昇段できぬ場合さえある。最終的に受験者の中からプロになれるのは2~3%。これを藤井はやってのけたのだ。14歳で。

もちろん、だからといって加藤の記録が色褪せるわけではない。だが羽生の言葉のように、藤井の最年少記録は、ラクダが針の穴を通るように難しいものなのだ

 

「大化けするかもしれません」(豊川孝弘・七段)

子ども棋士を指導する豊川

子ども棋士を指導する豊川

藤井のプロ2戦目は2017年1月26日。豊川孝弘・七段(関連記事)に棋王戦予選で挑んだ。そう、加藤とともにメディアに引っ張りだこの豊川である。なんと、藤井、この豊川にも勝利した。

のちに豊川はガイドの取材にこう話してくれた。

「藤井くんは大化けするかもしれないですよ」

――えっ、やはり、そういう「才能」をプロの先生でも感じられるのですか?

「たしかに、若いのにしっかりした将棋を指すなって印象です。でも現時点で、たとえば“モノが違う”とかそういうことを語ることはできないんですよ」


さすがにプロ棋士の言葉だ。勝負の厳しさを知り尽くしている。


――では、どういう点で、大化けの可能性を?

「タイミングというか運というか、それに恵まれているんです。自分の実力だけでなく、そういうことが大化けには必要ですよね」

豊川は、続けた。

「AbemaTVって知ってますか?」

ネット配信のテレビだ。

「AbemaTVが将棋チャンネルを始めたんです(2017年2月から)。それが、ぴったり藤井くんに重なったんです。最年少ですからね。Abemaは採り上げます」

――たしかに……。

「その中で生まれたのが『藤井聡太・炎の七番勝負』なんです。この企画がなかったら、羽生戦始め、あれほどのメンバーとの対局は実現しなかったでしょう」


炎の七番勝負。藤井の対戦相手は(1)増田康宏四段、(2)永瀬拓矢六段、(3)斎藤慎太郎七段、(4)中村太地六段、(5)深浦康市九段、(6)佐藤康光九段、(7)羽生善治三冠。震えるような顔ぶれだ。 藤井は永瀬戦以外の全てに勝利した。


「非公式戦で、持ち時間も短いですから、七番勝負の成績でどうこう語るのは難しいですが、とにかく、あのメンバーと対局できた経験は大きいですよ。恵まれてます」

――なるほど、納得です。

「将棋はホットケーキ(放っとけ)でも強くなりますよ。でも、こういう機会に恵まれることは、そうそう、ありません」


豊川はダジャレのサービスを交え、語ってくれた。

なるほど、そういう見方があったのか。たとえば、戦後最大級のスター、力道山。力士からプロレスラーに転向し圧倒的な支持を得た。彼の放つカリスマは、時代を同じくして出現したテレビジョンを抜きには語れない。たとえば山口百恵。昭和の菩薩、時代と寝た女とまで称されたアーチストは『スター誕生』という番組がなければ存在しまい。藤井にAbemaTV、“天恵”という言葉が頭に浮かぶ。

そう言えば……。

 

藤井の天地人

加藤一二三/ガイド画

加藤一二三/ガイド画

既に述べたように藤井プロデビューの相手は加藤一二三・九段。新旧最年少同士、しかも現在、最高齢棋士の加藤VS最年少の藤井である。

盛り上がらない訳がない。日本将棋連盟が粋なマッチメークをしてくれた。と考えたあなた。実は違う。驚くなかれ、この対戦は抽選で決まったのだ。夢のような取り組みは、まさしく天恵だったのである。

決戦の日は2016年12月24日、クリスマスイブ。敬虔なキリスト教徒の加藤にとって特別な一日だ。気合も入っただろう。しかし、藤井は勝利をおさめた。

天恵のスタートから、記述のように公式戦16連勝。もはや、藤井が誰を破るかでななく、藤井を誰が破るかが関心事になってきた感もある

“天恵”と言えば、戦国の英傑・直江兼続は“天地人”という言葉を好んだという。

「天の時は地の利に如かず」
 

家康の時代にプロ棋士誕生

家康の時代にプロ棋士誕生

藤井の生まれた愛知県は非常に将棋が盛んな土地柄である。たとえばプロ棋士第一号として大橋宗桂(関連記事)を認めたのは愛知・岡崎生まれの徳川家康だ。

また奨励会の前段階的な役割も果たす“研修会”という組織があるが、東京、大阪の将棋会館以外では、愛知県にだけ開設されていた(2016年からは福岡にも)。もちろん、藤井はこの東海研修会で腕を磨いた。地の利を十分に活用したのだ。 

「地の利は人の和に如かず」

藤井は祖母に将棋を教わったという。ガイドは湯の街別府にて将棋教室を開講しているが、これは、非常に珍しいケースだ。おばあちゃんが将棋を指すのである。

その後、祖父に習う。祖父も勝てなくなると子ども将棋教室の文本力雄氏に出会う。この文本氏が子ども達の力を引き出すことに長けた人物であった。けっして押し付けではない両親の協力も大きな力となった。天地人に恵まれて藤井は成長したのだ。

 

藤井を楽しむには

私たちは力道山の空手チョップの迫力を堪能できる。山口百恵の情念をその表情から味わえる。だが、将棋観戦は難しい。プロの対局で今動かされた“歩”の意味を知ることはアマチュアの愛棋家にとって至難の業だ

ゆえに、豊川に尋ねた。

――豊川先生、ぜひ教えてください。僕らが藤井四段の将棋のどんな手に注目したら良いですか?

「実は、藤井くんとの対局前にある棋士に聞いたんですよ。どんな将棋指すんだって」

――そうなんですか。それで、どんな将棋だと。

「おっさんみたいな将棋だと」

――おっさん!

後日、ガイドは驚いた。実は藤井の小学校時代の先生が、やはり藤井を「おじさんくさい子だった」と評していたからだ(フジテレビ『直撃グッディ』2017年5月2日放送分)。

「それほど、しっかりした丁寧な将棋ってことですよ」

藤井と対戦した棋士たちが口をそろえる「しっかり」、「丁寧」だ。でも、それだけではアマチュア愛棋家が藤井将棋を味わうことは難しい。ご安心あれ、豊川はサービス精神の巨塊である。

「1点だけあげますとね。桂の跳ねです。藤井くんの、早めの桂跳ね。桂がどう働くかに注目してみてください」

これなら、アマチュアにもわかる。藤井が桂を跳ねたら、とにかく「おっ」と声を上げることができる。ありがたいアドバイスだ。

実際に検証してみよう。図は豊川との対局の局面図である。赤丸は25手目、右辺の桂を跳ねたところだ。

藤井聡太VS豊川孝弘

藤井聡太VS豊川孝弘


もう一つ、局面図をご覧いただこう。
炎の7番勝負、羽生との対局27手目だ。

藤井聡太VS羽生善治

藤井聡太VS羽生善治


ここでも桂を跳ねているが、なんと、藤井の陣形は青丸の歩以外は、豊川戦とまったく同じ形だ。

黄金の桂馬/イメージ

黄金の桂馬/イメージ

いかがであろう。極論すれば、藤井は桂を跳ねるために、この局面を作ったのかも知れない。やはり注目すべき桂跳ね、黄金の桂馬だ

余談になるが、前述した大橋宗桂は信長から「桂」の使い方を賞賛され、宗桂と名付けられたという。400年を経て誕生した藤井も「桂」の使い手。

あっ! 藤井聡太、生まれ変わりじゃないのか……いかんいかん、ガイド興奮気味である。

しかし、これだけは書いておきたい。愛棋家にとって藤井聡太の存在が天恵である。

お読み頂き、ありがとうございました。

藤井聡太/ガイド画

藤井聡太/ガイド画


<追記>
この記事のためのインタビューを快諾してくれた上、電話まで下さり、たくさんのお話をいただいた豊川孝弘七段に心から感謝します。

「敬称に関して」

文中における個人名の敬称について、ガイドは下記のように考えています。
(1)プロ棋士の方の活動は公的であると考え、敬称を略させていただきます。ただし、ガイドが棋士としての行為外の活動だと考えた場合には敬称をつけさせていただきます。
(2)アマ棋士の方には敬称をつけさせていただきます。
(3)その他の方々も職業的公人であると考えた場合は敬称を略させていただきます。

「文中の記述に関して」
(1)文中の記述は、すべて記事の初公開時を現時点としています。